証詞

息子の重病が書写で奇跡的に回復
2019.4.10掲載 体験集No.62

私の夫はすでに他界して、33歳の息子と二人暮らしをしています。今回はその息子のことを証しします。後から考えると前兆のようなものがあったのですが、健康だけが取り柄で、病気とは無縁のような息子だったので、私は母親として前兆に気付いてあげることができませんでした。

8月2日、息子が突然、台所で崩れるように座り込み、名前を呼んでも返事がなく、体温は40度を超えていました。慌てて救急車を呼びましたが、どれくらいの時間がたったのか全く覚えていません。救急車で大学病院に運ばれた息子が治療室から出てきた時には、体中にたくさんの管が付けられていました。そんな姿を見ただけでもショックなのに、お医者さまからは「肺炎、敗血症性ショック、播種性(はしゅせい)血管内凝固を起こしています。かなりの重体で、今のところ、命の保障はできません」と言われ、目の前は真っ暗になり、頭は真っ白になってしまいました。

写真はイメージです。Photo by Sharon McCutcheon on Unsplash

病院からは帰宅してもよいと言われ、集中治療室にずっといることもできず、私は夢遊病者のように病院を出て歩き始めました。その時、「意志さえあればできないことはない」「あらゆることに精いっぱいのまことを尽くす」「幸福は常に私たちを待っています」など、今まで書写をしたみ言(文鮮明先生の教え)が、真っ白だった頭の中を通り過ぎました。

そして、息子が倒れる前に交わした会話がよみがえってきました。それは書写に関する話でした。息子は私が書写を勧めてもなかなかしてくれなかったのですが、私に頼み事をしてきたので、「書写をしてくれるなら、してあげるよ」というと、すんなり「いいよ。書写するよ」と受け入れてくれたのです。数日間だけの書写でしたが、私は天に祈りました。「息子はほんの数枚ではあっても、文鮮明先生のみ言を受け入れて書写をしてくれました。小さな小さな条件ですが、天が認めてくださって、息子の命を守ってください。もし息子が健康を回復したなら、二人で書写を続けていきます」と。すると気持ちが少しだけ楽になりました。

家に着いて仮眠をとり、また病院に戻りました。それからは輸血、透析、気管切開、さらに熱を下げるために両腕と両足の付け根に氷を抱かせて冷やすなどの処置を受ける息子を見守り続けました。息子が健康を回復して再び立ち上がることを願い、心を込めて書写をしました。すると、わずか2週間後に、集中治療室での治療が要らないくらいまで回復したのです。まさに奇跡でした。9月に入ると、重病患者用の刻み食が始まり、全粥(ぜんがゆ)になり、18日からは常食がとれるようになりました。まだ切開した穴が開いたままですが、むせることもなく上手に食事をしています。

今はまだ私が介護しなければ何もできない状況ですが、リハビリ用にベッドの横に置いた書写に手を伸ばせるようになる日も、もうすぐでしょう。その時には親子二人で書写をして、大会にも二人で参加したいと思っています。多くのかたの守りと励ましの中で、奇跡のように息子が回復していることに感謝しています。ほんの少しだけ書写をした息子がこんな恩恵を受けるのなら、毎日熱心に書写をされているかたには、本当に限りない恩恵が与えられるはずだということを確信する出来事でした。皆さまと、共にこれからも書写を続けていきたいと思います。


※ 写真はイメージです。証詞文ご本人とは関係ありません。

※「自叙伝書写 感動体験集」は㈱光言社様より許可をいただき、総合情報アプリ「Blessed Life」から引用しております。「Blessed Life」には他にも豊富なコンテンツがございますので、ぜひご利用ください。