証詞

書写を通して妻との関係がより深く
2019.6.12掲載 体験集No.71 東京都 30代 男性

私の家庭は、2歳と1歳になる男の子が二人います。子供を育てた経験があるかたは、ご理解いただけると思いますが、1歳の子は動き回るけれども、自分のことはできないので、泣きながらまとわり付くし、2歳の上の子は、ああでもない、こうでもないと、食事を作る作業一つ取ってみても、簡単にはできません。

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私も頭ではそのことを理解しているつもりでしたし、だからこそ、できる限りの手伝いもしているつもりでした。しかし、妻はそれでは満足せず、不満を漏らすわけではありませんが、明らかに機嫌が悪い日が多く、私は「どうしろってんだ!」という気持ちで、夫婦がかみ合わないような雰囲気が度々起こる日々でした。

そんな中、「お互いを認め合い助け合って生きる」という書写をしながら、自ずとそういう意識が日々の生活でも強くなりました。ある日、妻に2泊3日の旅行に友人の付き添いで同行できないかという話がありました。妻は小さな子供がいるので、自分が行くことは無理だと思っていましたが、ふと、「私が二人の子供の面倒を見れば、妻は行くことができる」という思いになり、「僕が面倒見るから、行って来ていいよ」と勧めることができました。

とても不思議ですが、私がそのように思えたのは、「お互いを認め合い助け合って生きる」という言葉を意識したことが、結果として、そのような決断に導いたのかなと思います。妻もとても喜び、付き添いしてあげたかたもとても喜ばれていました。

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私自身にも恩恵がありました。それは、妻がいない間、息子を面倒見ながら過ごすことを通して、「こんなに、子供がいると苦労するんだ」ということを、頭ではなく実感として理解できたことです。簡単な食事を作るだけでも、下の子が泣きながら足元にまとわり付いてくるので、数倍の時間がかかり、とにかく子供がいなければ何でもないことなのに、全てに手間が掛かってしまうということが、よく理解できたのです。この経験を通して、朝食作りの時に、こういうふうに手伝ったら楽で、このタイミングで食器を片付けてあげたら楽だと、具体的にどのように手伝えば良いかが分かるようになりました。

それを理解できてからは、手伝うこと自体が苦でなくなりました。自分自身が大変さを理解できたからだと思います。今は妻も感謝してくれていますし、それまでのように険悪な空気が漂うことはなくなりました。今回の出来事を通して、ただ書写を書くだけではなく、「その言葉をどのように実践するか」を生活の中で意識できれば、環境がいい方向に変わっていくことを実感しました。


※ 写真はイメージです。証詞文ご本人とは関係ありません。

※「自叙伝書写 感動体験集」は㈱光言社様より許可をいただき、総合情報アプリ「Blessed Life」から引用しております。「Blessed Life」には他にも豊富なコンテンツがございますので、ぜひご利用ください。